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ノンフィクション

従前の歴史観にとらわれない新書 : 勘定奉行荻原重秀の生涯―新井白石が嫉妬した天才経済官僚 (集英社新書 385D)(本)

2008/6/18 アジアの息吹ベスト86レビュアー

5点

通貨史の観点から見ると、まさに先駆的な業績を残している
勘定奉行・荻原重秀。しかしその人となりを私は全く知らなかった。
新井白石によって「正しい日本史」から半ば排除されてきた、
その荻原重秀の生涯にスポットを当てたのが本書である。

当初は小説化を目論んでいたこともあって、
原資料に多くあたったことにより集められたパーソナルな情報、
並びに浮かび上がってきた死の謎など、
読み物としても一級品である。

著者は歴史家ではないと云うが、こうした従前の歴史観にとらわれない
新書の刊行を期待したい。
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未来を見通す力 : アリランの歌―ある朝鮮人革命家の生涯 (岩波文庫)(本)

アリランの歌―ある朝鮮人革命家の生涯 (岩波文庫)
アリランの歌―ある朝鮮人革命家の生涯 (岩波文庫)(本)

ニム ウェールズ,キム サン,
発売日:1987/08

2008/5/28 くまベスト39レビュアー

5点

1937年の夏の初め、アメリカの女性ジャーナリスト、ニム・ウェールズ(「中国の赤い星」のエドガー・スノーの妻)は、延安でひとりの朝鮮人に会う。魯迅図書館で英文書籍借り出し人の名簿を繰った時に、ひとりの突出した濫読家を見つけたのだ。金山(キム・サン)と名乗る彼は知性あふれる青年であったが、写真を見る限りではひどく痩せており一種の老師の風貌さえたたえている。(32歳だという!)ウェールズは彼が軍政大学の教師と言うのは仮の姿で中国共産党員であることを見抜き、伝記を書かせてほしいと頼む。そんなときに盧溝橋事件が勃発する。

その7月7日、ウェールズは「日本と中国の全面戦争が始まるのか、まだ妥協と和平の道があるのか」道が見えないまま、キム・サンに聞く。「戦争は避けられません。とうとう来たのだと思います。今度の事件で戦争にならなくても、次かその次の機会には始まります。日本は経済的帝国主義の緩慢なプランを実施するだけの資金的余裕がないから、軍隊を使って強盗式戦術を取り、軍事行政両面での徹底した強奪をやらねばならない。財政面が弱いので、中国と経済的な提携関係を築くことは出来ない、中国を安全に搾取しようと思ったら、先ずその力を潰しておかなくてはならないというわけです。」
彼はいうなれば、無名の知識人の一人に過ぎない。その彼が、当時のアジア情勢についてはおそらく世界最高水準の客観情勢を語っているのだ。当時の蒋介石の中国国民政府と中国共産党は敵対関係にあった。しかし彼は明確に日本と蒋介石が手を結ぶことは無いと分析していた。

未来を見通す力はどこから来るのか、そのひとつの秘密がここにある。

やがてキム・サン(これは偽名である。ついに彼はウェールズにも明かす事はなかった。)は、自らの波乱万丈の半生を語りだす。
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「ツレがうつに…」よりも : イグアナの嫁(本)

イグアナの嫁
イグアナの嫁(本)

細川 貂々,
発売日:2006/12

2008/5/17 yukkiebeerNo.1レビュアー

5点


 「ツレがうつになりまして」と「その後のツレがうつになりまして」を読んだ後に、その二著の間にこの「イグアナの嫁」があることを知りました。ですからこれも「ツレがうつになりまして」シリーズの一冊なのですが、装丁が全く異なるために関連性がないかのように見えます。なぜ幻冬舎はこういう形で本書を出したのだろう、といぶかしく思います。
 
 私は「(その後の)ツレが…」の二著よりも本書のほうが心に残りました。それはおそらくこういう理由からでしょう。「(その後の)ツレが…」のほうは、夫がすでにウツになっていて、そうしたウツの家族とどう生きていくかという視点から描いているため、ウツの家族が身近にいない私にとっては、自分に強く引き寄せながら読むという心構えにどうしてもなれませんでした。しかし「イグアナ」のほうは、かつてはどちらかというとプラス思考で元気ハツラツだったツレがウツ病に苦しんでいく過程を描いています。その過程を読むことで初めて、ウツ病がひょっとしたら私だってかかるかもしれない身近な病でありうるという実感を得たのです。

 そしてそのウツの背景に、バブル崩壊以降の日本経済の鬱々とした状況があることがかすかに見えてきます。バブルという先輩たちのソウの時代のつけを後輩のツレが支払わされているようにも見え、心が痛みました。

 著者とツレの厳しい現実を、ペットのイグがしれっとみつめてくれている、そんな日々を描いたこのマンガエッセイは、なかなか味のある一冊であるように私には思えたのです。
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子どものころ読んだグリム童話を別の角度から見るススメ : グリム童話―メルヘンの深層 (講談社現代新書)(本)

2008/5/4 くろやぎベスト93レビュアー

4点

 本書の圧巻はグリム兄弟のウソをあばく第3章です。

 グリム兄弟は、庶民の代表のような農家のおばあさんから話を聞いたことになってまいます。また、聞いた話の内容を変えていないことになってます。

 ところが、グリム童話が出版された直後から、「グリム兄弟は農村を訪ねてまわったりしなかった」との批判が出ていました。
 後の研究で明らかになったグリム兄弟の取材先は、中産階級で(農家ではない)、若い女性で(老婦ではない)、教養ある女性で(本で読んだ内容を含むかもしれない)、フランス系ドイツ人でした。

 これでは、ドイツ庶民が口承で伝えた話を集めたことになりません。

 もうひとつ、「話の内容を変えていない」がウソであることは、草稿から第7版までの内容を比べれば、おのずから明らかになることです。

 何より、話の長さが、ほぼ倍になっています。鈴木氏が例としてあげた「カエルの王様」は、草稿で3行だったのに、初版で6行に増え、第2版で7行になり、決定版では11行に達しました。

 さて、グリムのウソをあばいた鈴木氏は、グリムを糾弾するかわりに、グリム童話をもっと楽しむことを提案しています。

 「古代から伝えられた物語」ではなく、「19世紀ドイツの価値観で書き換えられた物語」という目で見てみると、この物語に込められた“陰謀”が見えてくる。それを楽しみましょう、というのです。

 別な角度から見ることによって、子どものころ読んだグリム童話の持つ意味が違って見えてくるのは楽しい。
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またひとり、すぐれた書き手を見つけたことがうれしい : 名画の言い分―数百年の時を超えて、今、解き明かされる「秘められたメッセージ」(本)

2008/4/6 yukkiebeerNo.1レビュアー

5点


 著者はカリフォルニア大学バークレー校で美術史学士号を修得した西洋美術史家。
 本書は冒頭から読者にこう語りかけます。

 「美術は見るものではなく、読むものです」(2頁)。

 感動するかどうかといった感性のレベルで(近代以前の)西洋美術を見るというのは、美術を見たことにはならない。それは人間の感性などあてにならず、理性的であることに重きを置いた西洋文明の中で生まれた美術なのだから。
 それでは、西洋美術を駆動してきた政治や経済、宗教や社会の歴史をきちんと理解してもう一度なじみ深い美術作品を見つめなおしてみようというのが本書の狙いです。

 私は非常に大きな興奮とともに本書を読みました。

 美術の歴史もさることながら、高校の授業で習った、そして受験の手段として知識を暗記するにすぎなかった世界史の断片のあれやこれやが、美術史をみつめなおす中で輪郭線も鮮やかに私の中で有機的に結びついていくのが手に取るように感じられたのです。

 ドイツが主だった美術史に登場しないのは偶像崇拝を禁じたプロテスタント化によること。(一方で音楽による宗教表現は進んだ。)
 北方ルネサンスでは宗教美術の破壊に伴って風景画や静物画の発展が促されたこと。
 裕福な市民階級の台頭と(教養のない人でも)分かりやすい絵画の誕生が表裏一体であること。
 フランス革命以降に起こった共和制と帝政・王政との目まぐるしい政治体制の転換が、やがて既成概念を崩す印象派という新しい芸術家たちが生まれる素地を準備したこと。

 それ以外にも、ここにはとても書ききれないほどの事柄にいちいち膝をうちながら本書を読み続けました。

 「です・ます」調の丁寧で平易な文章にも助けられ、古代から近代にかけての美術史を楽しく概観できる一冊となっていました。

 著者にはぜひ、続編として20世紀以降の現代アートについても、楽しく知的な美術解体書を書いてほしいものです。
 
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中上健次を評価するとすれば、純粋にアウトプットで評価せよ! : エレクトラ―中上健次の生涯(本)

エレクトラ―中上健次の生涯
エレクトラ―中上健次の生涯(本)

高山 文彦,
発売日:2007/11

2008/4/4 盥アットマークベスト63レビュアー

4点

 読み応えのある評伝だった。読み物として面白かった。
 「これを書かなければ生きていけないというほどのいくつもの物語の束をその血のなかに受けとめて作家になった者がどれほどいるだろうか」って言葉が出てくるんだけど、ここの捉え方はかなりセンシティブである。もちろん書くことがある人はいくらでも書けばいいんだけど、じゃあ、書くことがない人は書く資格ないのかよ、っていうさ。人には、書くこともないのに物書きになりたいとか、芸もないのにタレントになりたいとか、そういう有名性やドラマ的人生への欲望ってあると思うのだ。「ダメ親だったらグレられたのに...」みたいな本末転倒。語りたいことの有る無しじゃなく、「語りたい」というそれ自体の欲望。ほら、古くは太宰なんてのは、「語りたい」がために共産党活動に身をやつしたり、自殺未遂や心中を繰り返したりしたんだと思うんだよな。つまり自分の人生ってコンテンツが豊饒であるってことを世の中的に刻んで死んでいきたいって欲望。それって意外に本能と直結してる気がする。
 そりゃぁ中上健次ってはこの評伝通り、その人生も過剰なくらい豊饒なんだけど、やっぱ評価すべきはその「語り」である。ほら、書くべき人生が無くたって、書かれたものが面白いかどうかが勝負なわけでさ。中上自体もそこに拘っていたと思うんだよな、出自に拮抗した語り。もちろん書くべきことがないのに、面白いものが書ける確率ってかなり低いだろうけど、逆にそれって才能だし。実人生=物語ってアナロジーじゃ、実人生が豊かじゃない人はやってられない。今のブログ隆盛なんてのは、実生活と別の人生を作れることの可能性、もうひとりの(ドラマチックな)自分を生きることへの欲望だもんね。とはいえ読むほうは、それがウソだろうとマコトだろうと面白けりゃいい訳でさ。もとい、中上健次を評価するとすれば、純粋にアウトプットで評価せよ!ってことだ。
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